Day 4

1月10日
8時起床
朝ご飯を食べてちょっと資料とか書いてから
隣のおじいちゃんがお正月に突然倒れて亡くなったのでお線香をあげに行った
おばあちゃんと娘のリサちゃんがいて、お茶をいただきながら、
未だ一緒にお風呂に入るくらいおじいちゃん子だった高校3年生のお孫さんが
おじいちゃんが亡くなった次の日の夜ふといなくなり探していたら、
おじいちゃんの部屋のおじいちゃんの布団の中で寝ていたという話を聞き、
私、切なくなりワーと泣いてしまい、
おばちゃん達もつられてもらい泣きしてしまい3人で泣いてた

私が幼い頃、元気で働き盛りだったまわりの大人達が
どんどん年老いているのが目に見えて、
ここが動というより死に向かう土地になってきてるのを感じる
麓健一ちゃんの歌、ダンスホールの雨が頭の中で流れる

昼、県立図書館へ行き本を8冊借りてくる
その後、ポストカード探すついでに美術館へ行く
企画展はつまらなそうだったのでロビー横でやってた
島根洋画会の70周年記念展を覗いてみる
ほぼ全部、おじいちゃんおばあちゃん達の絵画
アウトサイダーアーティストはいないかなとワクワクしながら一つ一つちゃんと観てみる
その中、飾られてる絵画の下に黒いリボンが飾られているものがあって
気になってスタッフに理由を聞いてみたら、作者が亡くなられたからだと教えてくれた
92歳

洋画会の冊子が置いてあり、各メンバーの作品に関する感想文も載っていた

「生まれて初めて味わった、もう絵が書けなくなるかもしれないという恐怖を。
命召されるまで楽しく絵を書いていたいと言う気持ちが揺らいだ。
というのは、今年四月に特殊な目の病気にかかったからだ。その日は突然やって来た。
どうも景色が変だ。物が歪んで見える。電柱が歪む。道路の白線が波打っている。
ーーー失明してもまだ絵を描く方法は他にもあるかもしれない。ーーー」

先日ちょうど、幻覚に関する本で失明した後に見る幻覚
(シャルルボネ症候群)について読んだばかりだった
失明しても、目に見えたものの記憶のパーツをかき集めて造り上げられる
生々しく不思議な世界が見える可能性もあるらしい
話がちょっとそれてしまうけど、人工的に幻覚を見るのも可能らしい
薬物に頼るのではなく、とある環境に身を置く事により出来るんですって
これについてはまたメモ書きする
数年前にソフィカルの盲目の人々に関する最後のとき/最初のときの展示を見て、
ちょうどその展示で映画監督の友人、佐々木誠さんにバッタリ会って
生まれつき目の見えない人にSF映画を撮らせたらどうなるかという
ドキュメンタリー映画を撮ったという話を聞き、そしてその映画を見て
人間様の足りない感覚を補う能力に恐れ入った
一昨日くらいにヌケメ君がツイッターで目の見えない人の夢は
どんな感じか知りたいとつぶやいててメッセージ送りたかったけど
タイミング逃してしまった

以下、もひとつ感想文

「昭和33年4月より漁船に乗車し、東シナ海で初航海、15日間の操業を終えて
帰航の途中、島に生える新緑が陽に照らされて、
16日振りに目にした(緑)これが生命の色だと強烈に感じた瞬間を覚えています。」

フレドリック・ブラウンの短編、緑の星へを思い出した

もう朝4時で眠い、雑になっちゃった
またいろいろメモ書きしとく